キューバの思い出
2 アーネスト・ヘミン
グウェイゆかりの地を訪ねて 「誰がため
に鐘は鳴る」や「老人と海」など数々の小説を書き、ノーベル文学賞を受賞したアーネスト・ヘミングウェイ。彼がアメリカ最南端の島キーウエストから、
キューバにやって来たのが1940年、その後の20年間をキューバで過ごした。1961年に亡くなるまで、キューバ人を愛し、空や海を愛し、釣りを楽し
み、ダイキリ(辛口で強いアルコール飲料)を嗜み、小説を書き続けた偉大なヘミングウェイ。そのゆかりの地をガイド付き観光タクシーで訪ねた。 1.ヘミングウェイ博物館 ホテルを9時半に出発。市内各地を案内してもらいな
がら、車は約30分東に向った。サン・フランシスコ・デ・パウラという村の閑静な住宅地に、かってヘミングウェイが住んでいたフィンカ・ビビア邸がある。
現在は博物館になっている。入口で入場券をもらい、カメラ持ち込み料5cucを
払う。子供たちがフィンカ・ビビア邸前の広場でダンスの披露をしていたので、子供たちやその親たちが沢山来ていた。博物館は保存状態が良く、ヘミングウェ
イが今でもそこに住んでいるような気がした。 ヘミングウェイは定宿にしていたホテル アンボス・
ムンドスで「誰がために鐘は鳴る」の執筆活動を行っていたが、完成後、その売上金でここフィンカ・ビビア邸を買ったそうである。ココナッツ椰子、マンゴ、
アボガド、ブーゲンビリア、ハイビスカスその他の草木が生い茂る閑静な高台にあり、ハバナの市街地が一望できる素晴らしい場所にある。大きなプールがあ
り、彼が使っていたボートや釣り道具も飾られていた。プールはキューバで初めて作られたプールだそうな。猫や犬などの動物が好きな彼は自分の家の離れに猫
屋敷を建て、何十匹もの猫を飼っていたと言われている。
2.コヒマル ヘミングウェイ博物館の北、車で30分位の所に小さ
な漁村コヒマルがある。ここは彼が愛艇ピラール号を停泊させていた所で、「老人と海」の舞台になった所である。釣りの好きな彼はここから海に出てカジキマ
グロを追ったそうである。カストロ議長が優勝した事もあるヘミングウェイカップはここが舞台である。港の近くに要塞があり、この要塞の前に村人が作ったヘ
ミングウェイの胸像がある。その前で歌を歌っていた女性がいた。ヘミングウェイに聞かせていたのかな?
3.ラ・テラサ ラ・テラサはバー&レストランで、ヘミングウェイが
コヒマルに釣りに来た時に、よくここへ来たそうである。入口側が細長いバーになっており、奥がレストランになっている。レストラン内の壁に彼や彼ゆかりの
写真が貼ってある。カストロ議長とのツーショット写真もあった。ここでウェルカムドリンクとビールを飲み、パエジャを食べた。パエジャはドミニカ共和国の
パエジャと異なる。ドミニカ共和国のパエジャはチャーハンに似て、パサパサしているが、ここのパエジャはリゾットに近い。大変おいしかった。
4.ホテル アンボス・ムンドス 旧市街にあり、かってヘミングウェイが定宿にしてい
たコロニアルなホテル。バーの中にあるロビーやエレベーターはクラシカルな雰囲気を醸し出している。
5.ラ・フロリディータ 長いカウン
ターと二つの部屋からなるバー&レストランである。バーの一番左奥がヘミングウェイの定席であり、ここでダイキリ「パパ・ヘミングウェイ」を飲んでいたそ
うである。2003年にヘミングウェイの実物大の像がその席に設置され、隣の席で飲む人はヘミングウェイと一緒に飲んでいるような雰囲気になる。そこで、
ダイキリとやらを飲んでみたかったが、ガイドに促されて渋々ラ・フロリディータを後にした。
6.ラ・ボデギータ・デル・メディオ ここもラ・
フロリディータと同様のバー&レストランでヘミングウェイがよく来ていたが、その後世界各地から有名人が沢山訪れ、レストラン内の壁はサイン、写真、落書
きで一杯である。その中によく見た顔の人がいた。
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