行事報告 2009

11月3日(祝・火) 第42回いながわまつり 10:00〜16:00

場 所 屋外:猪名川町総合公園、屋内:文化体育館(イナホール)、生涯学習センター

主 催 いながわまつり実行委員会 (後援 猪名川町、猪名川町教育委員会)

目 的 住民の文化活動の発表と、交流や親睦を目的として開催され、118団体が参加。

テーマ 「みんなで作ろう 笑顔の輪」 絆を深め、安心安全な地域になることを願う。

概 要 “いながわまつり”は、今回で42回目を迎え、約半世紀続いている伝統あるイ

ベントで、毎年「文化の日」の11月3日に開催されています。なお、猪名川町の紹介、同町とJICA兵庫との交流の経緯については、前号のOV会News第22号に掲載済みですので、ここでは割愛します。イベントの全貌は以下のとおり。

屋外(60):屋台と野外ステージで、屋台の主体は飲食物と地元産野菜等の販売。

屋内(58):文化体育館「発表の部」詩吟、コーラス、舞踏、楽器演奏、ダンス等。

     生涯学習センター「展示の部」絵画、書道、陶芸、木彫、写真等。

今回の「いながわまつり」について、中南米諸国(ラテンアメリカ)に派遣されたグループで写真展を行うことが決定され、私は同写真展の企画および実施の協力依頼を受けました。お陰さまで、出展および応援のOV会関係者のご協力のもとに、無事終えることが出来ましたので、同写真展の経緯と概要を報告します。

今回の写真展の規模を左右する展示用パネル(幅1.2m×高1.8m)は、申請どおり10枚が許可され、計画に余裕が生まれました(因みに過去実績の約2倍です)。

     出展国(氏名) は、パナマ(橋本博司)、ドミニカ共和国(早瀬雅博)、コロンビア(冨永雅久)、ボリヴィア(金川隆信)、パラグアイ(小海英夫)、チリ(小海英夫)、アルゼンチン(大西正信、田中淳之)の7ヵ国(8名)で、展示しました。

     応援には、酒巻四朗、坂元正裕、土井 浩、竹村 清、池田 格の各氏が訪問。

テーマは、「ラテンアメリカの自然と暮し」と「ラテンアメリカの子供たち」です。

各国の写真パネル9枚を北のパナマから南へ順次配置しました。残り1枚を

今回写真展の案内パネルとして、当OV会の説明文、テーマの「ラテンアメリカの自然と暮し」の説明文、ラテンアメリカの写真展示国(白図に展示国を示す)、展示各国の基礎情報を添付し、写真パネルの中央部に配置しました。

私たちの展示は、生涯学習センター2階の第二会議室で木彫りの団体「愛木会と同室で行われ、互いにそれぞれの出展に興味を持つ機会を得、有意義でした。

 パネル前の机上には来観者のため、今回写真展のチラシ、直近のJICAシニアボランティア募集資料、ラテンアメリカの民芸品(大西さん提供)を置きました。

今回のイベント申込をインターネットで行えるとのことで、当OV会事務局長の冨永さんが「いながわまつり実行委員会」に申込したところ、実行委員会の担当者から「JICAと猪名川町はどのような関係にあるのか」と問いただされ、慌てて冨永さんと私とで町役場コミュニティ課(祭係と国際交流係)へ出向いて了承を得ました。今後は町役場へ行って直接申込むのが最善であると反省しています。 

青年海外協力隊 兵庫県OB会も屋台を出す予定で準備されていましたが、中心

の地元OBの方がご多忙で中止となり、交流を持てなかったのが少し残念でした。

写真展示風景(1) 左から子供たち、 パナマ、ドミニカ(共)、コロンビア、案内パネル

写真展示風景(2) 左からボリヴィアパラグアイ、チリ、アルゼンチン

出展および応援のOV会関係者 左から、大西、早瀬、坂元、小海、酒巻、田中、冨永

文化体育館ステージ ママキッズ ゴスペルワイヤー

総合公園 飲食物等の屋台のテントに連なり、ビニール製の野球少年と入場待ちの長蛇の列。 野外ステージ なかよし太鼓OB会の熱演

(文責・撮影:田中淳之)

12月3日(木)「阪神シニアカレッジOB会 12月度国際理解ゼミナール」

場 所:宝塚南口会館

対象者:阪神シニアカレッジOB会会員 約30名 (シニアOV会より土井氏が協力参加。)

講 師:竹村 清 (シニアOV会 土井OVの斡旋による。)

演 題:「シニア海外ボランティア体験談−多彩な文化とほほえみの国、ラオス」

内  容:ボランティア活動(医療技術移転)の概要、ラオスの文化・歴史遺産と美しい自然に恵まれた国土の紹介、それと笑顔にあふれた人々の日々の暮らしをテーマに講演した。     

(写真1)

1.ラオスの基本情報

 ラオスはインドシナ半島の中央に位置し、国境を五つの国と接する海のない国であるが、

メコン川が国を南北に縦貫している。国土は本州と同じぐらいの面積(24万平方キロメーター)で、約600万人が暮らしている。その約半数はラーオと称される人々であるが、残りはモン、タイ、アカなどと称される約50の少数民族から構成される。人口の年齢構成は14歳未満が約40%を占め、働く子供たちの姿はあちこちで見られる。国民の大多数は仏教徒であり、仏教行事や日常生活のしきたりは仏教との深いつながりを感じさせる。ラオス人の感情の穏やかさや優しさは、彼らの信仰心に負うところが大きいのではないだろうか。ラオスは1949年に王国として独立したが、長らく内戦状態にあった。ベトナム戦争時には米軍により大量の爆弾が投下され、その傷跡を今も至るところで見ることができる。それらの爆弾の中には不発弾として残ったものもあり、誤ってそれに触れて爆発事故にあう住民が後をたたない。現在は、欧米や日本の政府機関やNGOが不発弾処理にあたっているが、不発弾が一掃されるまでに何年かかるのかわからない。ベトナム戦争終結後、1975年に王制が廃止され、社会主義国となった。1986年に新経済政策を導入後、順調な経済発展を遂げてきた。2004年には東南アジア諸国連合(ASEAN)の議長国となり、東南アジア地域での存在感を増している。ラオスにとって、日本は長い間 最大のODA援助国であった。1965年にJICAボランティアが世界で最初に派遣された国もラオスであった。そういった両国の歴史もあって、国民の対日感情は非常に良い。

2.ボランティア活動

 赴任したラオス大学医学部セタティラート病院は2000年に日本の援助で建設され、「日本の病院」とも呼ばれている。病院は患者本位で設計されていて、どの診療室に行くのも便利である。また、臨床検査の料金表は掲示されていて、事前に知ることができる。

要請された技術協力の内容は下記についてであった。

 臨床検査の精度管理に関する技術協力

 臨床検査室の効率的運営に関する技術協力

 臨床検査室職員の検査能力の向上に関する技術協力

 すでに終わったJICAプロジェクトのフォローアップ

着任後、臨床検査業務の実態を知るために3ヶ月をかけて各部門を巡回した。この間を、具体的な改善目標と計画立案に充てたが、それよりも、一対一での面談に時間を割き、職員全員と話し合い、信頼関係を築けたことが活動をよい方向に導いてくれた。検査室は総じて良好な状況であったが、機器の正しい取り扱い方法や精度管理の考え方など、問題点を改善した。病原微生物の関係では東南アジアの風土病ともいえる「類鼻祖」の原因菌の同定法や、結核菌の蛍光染色法の導入は保健医療の向上に役立つと思われる。ほかに、臨床検査の世界的な標準であるISO15189のラオス語版をラオス人スタッフとともに作成し、それをテキストにして研修会を行えたことは将来のために役立つであろう。

3.文化遺産と美しい自然

ラオスは本当に見所の多い国である。優美な屋根と美しい装飾に施された多くの寺院、その中に安置された無数の仏像、一方で奇妙なオブジェのようにも見えるブッダパークがあり、時間がいくらあっても足りないほどである。その中でラオスのシンボルとも言われるタートルアン(写真2)は別格で、黄金に輝く仏塔はビエンチャン市内のどこからでも見ることができる。ここでは、毎年11月初旬に全土から僧侶が集まり、タートルアン祭りが行われる。

 世界遺産に登録されているのは、ラオス北部のルアンプラバン(日本で言えば京都のような古都)と南部のワットプー遺跡である。しかし、自分としては謎の石壷のあるジャール平原

(写真3)こそが、世界遺産に相応しいのではないかと思っている。

写真2 タートルアン
写真3 謎の石壷のあるジャール平原

4.人々の暮らし

 都市部は活気があり、日本の街の雰囲気とそれほど変わらない。アジアの最貧国のひとつと言われながらも、ここでは、他の開発途上国で見られるようなホームレスの姿はほとんど見なかった。これは社会保障制度が整っているからではなく、ラオスの伝統的な家族制度、相互扶助の精神の賜物である。子供たちの労働について前述したが、水汲み、洗濯などの家事を受け持つ子供たちが普通に見られるのは、うらやましいと思った。日本ではそのようなよき伝統はもはや過去の遺物となったが、ラオスではしっかりと受け継がれている。出張や休暇で各地を訪問したが、どこに行っても人々は親しく話しかけてくれ、カメラには明るい笑顔を見せてくれた。

5.講演会の状況と感想

阪神シニアカレッジOB会は、阪神シニアカレッジで4年間学んだ後、さらに月一回のセミナーを実施されている。シニアOVからは土井氏に続き、二人目の講師ということで指名を受けた。当日は あいにくの雨にもかかわらず、多数の出席をいただき、会員の皆さんの熱心さを感じた。こういった会では、聴く側の要求に話す側がいかに応えられるかがポイントになると思うが、今回はあれもこれもとスライドが過剰になってしまったように思う。話が広範囲に過ぎ、その説明に追われた。時間が超過してしまって、楽しみにしていた皆さんとの話し合いがほとんどできなかったのが残念である。幸い、皆さんが熱心な方々であったので、前半の固い話にも興味を持っていただいたのは有難かった。一部の方からは、終了後にいくつかの質問を受けた。また、世話役の方からは、「実体験の話は伝わってくるものが違う」「情報の少なかったラオスに少し近づけた気がする」「仲間の皆さんも喜んでいた」とのコメントをいただいた。     以上     

(竹村OV 記)

12月5日(土)「宝塚男女共同参画センタ・フェスティバル2009」

講演会13:30〜15:30

場 所: 宝塚市 

講 師: 坂戸瑞根

対象者: 一般参加者:21名 

(シニアOV会より土井、田中、長野の3氏が参加)

演 題: 「マレーシア・ボルネオ島の自然・人」

内 容:マレーシアは東南アジアにおける中規模国家でマレー半島の西マレーシアと

  ボルネオ島西海岸の東マレーシアからなる立憲君主国家。ボルネオ島の東半分はカリマンタンと称しインドネシアに帰属。東マレーシアは南シナ海に面し、北部のサバ州と南部のサラワク州からなり中央部に金持ちで有名な小国ブルネイがある。演者の派遣地コタキナバルは、サバ州の州都で近くに東南アジア最高峰のキナバル山(4,095M)がある。

1.基本情報

位  置  北緯0度54分〜7度28分、東経99度44分〜119度30分。

西マレーシア(半島) 11州、東マレーシア(ボルネオ島) 2州、合計13州。

気  候  熱帯性気候 年間 25〜32℃。

面  積  約33万平方キロ (日本の約90%)。サバ州 73,711平方キロ。

人  口  27,194千人 (2006年)、西マレーシアに80%居住。

人種構成  マレー系土着民61.4% 中国人23.6% インド人7.1% その他 外国人等 7.9%。

言  語  マレー語(国語)。公用語は他に英語、中国語、タミル語。

宗  教  イスラム教(国教) 60.4%、仏教 19.2%、中国宗教2.6%、キリスト教 9.1%、ヒンズー教 6.3%、 原始宗教他 1.2%、無宗教 0・8%。

天然資源  錫、天然ゴム、原油、天然ガス、パーム油、木材。

2.経済状況

名目GDP 2214億ドル。 一人当たりGDP 8,140ドル。

貿易収支  過去10年以上常に黒字を維持。

マレーシアの経済政策

  (1) Look East Policy  日本、韓国における勤勉思想の取り入れによる人材の育成。

  (2)National Vision Policy 及び第3次長期総合計画 (2001〜2010)

   目標 民族間経済格差是正(ブミプトラ政策の継続)

国際競争力の強化(研究・開発活動の重視や知識集約型経済への移行)。

3.サバ州・コタ・キナバル市の自然と人

1) 概 要 

ボルネオ島マレーシア領サバ州の州都、人口 約23万人。

海岸と背後の山 開発途上のリゾート地。

食物果物豊富 野菜は夏野菜が主体(50年前の日本)。

魚は脂の乗らない物、特殊な活魚レストランと特定の魚屋以外は鮮度は良くない。

鶏肉主体、牛肉、豚肉は特定の店で入手。

対日感情 良好。気性は一般的に穏やか。

治安  良好。スリ、置き引き、住居侵入、自動車泥棒は有るとの事。

為替レート RM1.00=¥26.39(2009.11)生活感覚は1RM=¥100 。

リタイアメントプログラムの人が増えたとの事 月20万円の年金で十分豊かに暮らせる。

2)気候 日本の真夏より凌ぎ易い、但し1年中暑い。強烈な直射日光。 

地面からの照り反し 緑多く日陰は快適。一日の気温 最高32℃、最低24℃。

高温多雨(多湿でない)経済的な理由でなくエアコンなしの生活者も多い。

一般にエアコン完備のため生活は快適。

  雨季でも雨は降り続かない、但し毎日のように大雨が降る。雨は短時間で上がる。

3) サバ州の在留邦人(300人足らず)殆どがコタ・キナバル市と周辺に在住。

木材輸出、加工関係者、現地進出企業関係者、観光関連、現地事業従事者。

リタイアメント プログラムを主体とした長期滞在者(最近増加傾向にあり)。

4) コタ・キナバル市の産業.製造業には見るべき物がない。

5)コタ・キナバル市、サバ州の観光産業

目玉 1. キナバル山、2. オランウータン(森の人)、3. アイランドホッピング

日本、韓国からの退職後長期滞在者に期待、生活費の低廉 日本の半分から3分の1。

住環境は良好 リゾートホテル、シティホテル整備済み。      (坂戸OV 記)

2009 年12 月19日(土)「JICA海外ボランティアひょうご応援団」

 毎月開催されている運営委員会で主要議題となっていた「小さなハートプロジェクト」(青年協力隊員が任地で本来のテーマ以外のボランティア活動をする場合の資金支援)の基金づくりの最初の行事として、「歴史ウォーク」イベントが12月19日の午後13時〜17時 に行われた。

 ひょうご応援団理事の田辺眞人園田学園大名誉教授のご協力のもと、上記のテーマで、海外移住と文化の交流センターを起点として北野異人館街から県庁前までいろいろな宗教施設を訪れ、歴史の大きな流れの中の位置づけや神戸との係りなど、大変詳しい解説を聞きながら興味津々の散策で好評だった。また通常の公開日でなかったが、ジャイナ教寺院の参拝を許可して下さり、回教寺院や栄光教会ではお坊様や牧師から直々説明して戴いて、とても幸いだった。

 当日は寒風の中であったが晴天に恵まれで約80人の参加者があり、拠出頂いた参加費は資料代など諸経費を除き「小さなハートプロジェクト」基金として兵庫県出身の青年海外協力隊員の活動支援に充てられる。先頭と最後尾に「JICAひょうご応援団」の“のぼり”を掲げての大きな集団ウォークとなり、一般市民へのPRの効果もあった。兵庫シニアOV会から早瀬会長、酒巻、冨永が参加し、準備や順路誘導・安全な道路横断のお世話役を務めた。

[行程]

 海外移住と文化の交流センター→ 関西ユダヤ教会→ ジャイナ教寺院→北野天満→ ラインの館→ 三本松不動尊→ 神戸ハリス正教会→ 一宮神社→ カトリック神戸中央協会→ 神戸ムスリムモスク→ 鯉川筋→ 神戸栄光教会                 (酒巻OV 記、冨永OV 撮影)

興味深い解説をされる 田辺眞人先生

神戸ムスリムモスクにて

JICA海外ボランティアひょうご応援団の幟を持ち“しんがり役”を務められた伊禮所長